札幌地方裁判所 平成10年(ワ)1295号 判決 1999年9月21日
原告
越澤民雄
右訴訟代理人弁護士
猪狩康代
大賀浩一
被告
北産機工株式会社
右代表者代表取締役
森田春雄
右訴訟代理人弁護士
岩井淳佳
山田学
主文
一 原告が被告の従業員として労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
二 被告は、原告に対し、九万五一六一円及びこれに対する平成九年一月二一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、平成九年二月から毎月二五日限り二九万五〇〇〇円及びこれらに対する支払日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
四 原告のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は被告の負担とする。
六 この判決は、第二項及び第三項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告が被告の従業員として労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は、原告に対し、九万八三三三円及びこれに対する平成九年一月二一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告に対し、平成九年二月から毎月二五日限り二九万五〇〇〇円及びこれらに対する支払日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 2及び3の裁判について仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 原告の請求原因
1 当事者
(一) 被告は、各種機械装置及び鉄骨構造物の設計並びに施工等を目的とする株式会社である。
(二) 原告は、平成八年二月一日、被告との間において、労働契約を締結した。
(三) 原告は、平成八年七月当時、一か月当たり基本給一六万四〇〇〇円、加給六万円、職務手当三万五〇〇〇円、住宅手当二万円、家族手当一万六〇〇〇円の合計金二九万五〇〇〇円の支給を受けていた。
(四) 被告の給与は、前月二一日から当月二〇日までの給与を、当月二五日に支払う約定であった。
2 原告は、平成八年七月一〇日に交通事故(以下「本件事故」という)に遭って休職中であったが、平成九年一月一〇日をもって復職すると申し出た。しかし、被告は、原告が退職した旨主張して、原告の労務の提供を受領しない。
3 よって、原告は、被告に対し、次の裁判を求める。
(一) 原告が被告の従業員として労働契約上の権利を有する地位にあることの確認
(二) 平成九年一月一一日から同月二〇日までの給与九万八三三三円及びこれに対する弁済期の翌日である同月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払
(三) 平成九年二月から毎月二五日限り平成九年一月二一日以降の給与として月額九万五〇〇〇円及びこれに対する弁済期の翌日である各月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払
二 原告の請求原因に対する被告の
答弁
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
三 被告の抗弁
(退職事由)
1 被告には、次の就業規則がある。
(一) 従業員が業務外の傷病で欠勤が三か月に及んだときには、休職させることがある(就業規則三三条一号)。
(二) 業務外の傷病による休職期間は、六か月を限度とする(同三三条一号、三四条一項一号)。
(三) 従業員が復職を命じられないで、休職期間が満了したときは、退職とする(同二八条二号)。
2 原告は、本件事故による傷害で欠勤して休職とされ、休職期間六か月を経過しても、次のとおり、復職できる状況になかったから、被告は、原告に復職を命じることなく、原告を退職させた。
原告を復職させなかった被告の判断が正当か否かは、事後的な現在の時点(口頭弁論終結時)ではなく、被告が右判断をしようとした時点(行為時)で決すべきである。
判断資料は、純粋に医学的見地からのみ行なうのではなく、判断当時における会社の実情、当該従業員の前歴等の具体的状況の下、行為時に存在した客観的資料に基づいて、行われるべきである。また、客観的資料は、その資料自体の信用性、会社が入手しうる医学的資料に制限があること(従業員に対し、診断書か受診を求めるほかない)も考慮すべきである。
(一) 原告は、頭部への重大な傷害を負った。
原告は、本件事故により、脳挫傷及び外傷性クモ膜下出血の傷害を受けた。事故直後の二、三日間は、意識不明になり、その後の入院期間も、五か月間という長期に及んだ。後遺症の発生も懸念された。ベテラン看護婦である原告の妻も、平成八年八月下旬に被告会社を訪ねた際、原告の回復には二、三年かかると言っていた。
(二) 原告は、休職期間満了の直前において、完治していなかった。
(1) 原告は、本件事故から五か月以上経過して休職期間が満了する直前の平成八年一二月二〇日の時点においても、手足の震えやしびれが残り、当面通院を要する状態であった。社団法人北海道勤労者医療協会(以下「勤医協」という)が運営する丘珠病院(以下「勤医協丘珠病院」という)の岡本五十雄医師(以下「岡本医師」という)の見解も、「原告は、事務能力及び計算能力には問題ないが、営業関係の仕事や車の運転は当面無理である。職場復帰については、できれば部署を変え、営業外のポストにつけた方が良い」という内容であった、原告には、営業のほかに担当できる部署がなく、被告会社の業務の現状から営業外のポストを用意することは無理であった。
(2) 勤医協の診断書には、次のように信用性に欠けた。
ア 通院の予定期間が不明であった。
イ いかなる治療をするための通院なのか不明であった。
ウ 傷病の内容は「脳挫傷・外傷性クモ膜下出血」と重症であり、看護婦をしている原告の妻からも、回復には二、三年かかると聞いていた。ところが、診断書は、事故後五か月で日常生活には全く問題がないという内容であった。
エ 原告が当初入院した医療法人禎心会病院(以下「禎心会病院」という)の診断書では、平成八年八月一二日の時点で、更に一か月の入院加療が必要とされた。しかし、原告は、その診断書が出た九日後に勤医協が運営する勤医協中央病院(以下「勤医協中央病院」という)に転院した。右転院には不審な点が多く、原告と勤医協中央病院との特殊な関係が推認できた。
(3) 被告は、原告に対し、原告に予定していた職種である営業と現場管理への適応性を確認する必要があったため、勤医協丘珠病院以外の医師が作成した診断書と会社に迷惑をかけない旨の念書とを提出するよう求めた。しかし、原告は、これを拒否し、突然怒りだし暴言を吐いた。そして、原告は、休業期間の満了日である平成九年一月一〇日になっても診断書を提出しなかった。
(4) 原告が提出した職場復帰に向けてのスケジュールでは、出社時間が一、二日目は一時間、三日目から七日目及び九日目は午前中のみであり、正規に出社できるのは休職期間満了の前日の平成九年一月九日のみであった。
(5) 原告は、被告から、平成九年一月一七日に「退職通知書」を受領し、更に、大賀弁護士を代理人とする平成九年二月三日付けの通知書に対する「休職期間の満了による退社」であることを明記した回答書の送付を受けながら、その後一年四か月余りも法的手段に訴えなかった。
(6) これらの事実からすれば、原告は、休職期間満了時には十分に病状が回復していなかったものであり、病状の回復を待って本訴を提起したものと推測される。
(三) 会社の実情
(1) 被告は、原告を営業職に付けた。車で得意先や受注先を回って注文を取ったり、現場を管理したりするのが営業職の主たる業務である。原告は、本件事故の直前は、見積表作成等の事務の仕事のみを担当していたが、これは、四年間のブランクを埋めるトレーニング期間としていたからである。被告は、平成八年八月から、原告に営業職の仕事を担当させるつもりでいた。
(2) 被告は、倒産の過去がある零細企業であり、余剰人員を雇う余裕がない。復職を命じるか否かの判断は慎重にする必要があった。
(四) 原告の前歴
原告は、被告の創業者で社長であり大株主でもあった越澤幸三(以下「幸三」という)の息子であり、右縁故により、昭和五三年、被告に入社した。
被告は、被告会社の後継者に育つことを期待して、原告を会社の中核である営業や現場管理等を行う工務部に配属した。
しかし、原告は、利己的でわがままなところがあり、態度も横柄で協調性がないため、社内においても取引先においても評判が悪かった。
原告は、昭和六〇年三月に離婚したにもかかわらず、家族手当を不正に受給し、昭和六〇年一二月、十分の一の減給三か月と一年間の昇給停止の懲戒処分を受けた。
原告は、業務の繁忙期に入る平成三年の九月、突然、退社した。被告に、多大の損害を与えた。
被告は、平成四年ころから、受注工事数が減少し始めたので、営業力の強化のため、営業部員の採用を検討していた。原告は、被告を退職後、転々と職を変え、平成八年当時、無職であった。被告の当時の常務取締役である西本正美(以下「西本常務」という)が、原告に対し、復職の意向を尋ねた。原告が被告の当時の専務取締役(現在の代表取締役)である森田春雄(以下「森田専務」という)の指示に従うことを条件に、被告は、平成八年二月、原告を営業部員として再雇用した。被告は、営業力強化のため、直ぐにでも原告を営業に回したかったが、四年間のブランクがあり、その間に工事代金の積算方法等に変更があったことから、平成八年八月から原告を営業と現場管理に当たらせることとし、それまでは森田専務の下で必要な知識の習得に努めさせた。
ところが、原告の自己本位で協調性のない性格は改まっておらず、復社後も横柄な態度を取り、他の社員や下請け会社の人たちから不満が寄せられていた。
(五) 仮に事後的、純客観的に見た場合でも、次のとおり休職期間満了当時、原告は復職できる状態に回復していなかった。
(1) 岡本医師作成の平成九年一月一〇日付け同意書には、頸腕症侯群、腰痛症、頸椎捻挫後遺症の各症状があると記載されている。岡本医師が作成した平成九年一月二一日付け診断書には、同日まで業務・日常生活に支障があり、就労が全く不能であるとの記載があり、平成九年二月一三日付け診断書には、同年一月三一日まで就労不能との記載がある。また、岡本医師作成の社会保険事務所長宛の書面には、保険給付の請求期間である平成九年二月一日から同月二八日までの期間において、他覚的には複視等を認めたとの記載がある。
(2) 原告は、退院後も、脳MRI検査、血液検査、尿検査等の各種の検査を受けている。
(3) 原告は、退院後も、低周波治療や作業療法による治療を受けている。
(4) 原告は、平成九年一月一三日から同年九月二九日まで延べ一〇四日間の針灸治療を受けた。
(5) 勤医協丘珠病院の外来診療録には、退院後も、「右下肢がグラグラして転びやすい」、「右膝、右足全体に鉛が入っているようで動きが悪く、重苦しく歩きづらい」、「左の肩・手が痛い。右足底がいつもしびれている。右半身がしびれている。バランスが悪く歩きにくい」等の症状が記載されている。
(退職の承認)
原告は、被告から、平成九年一月一七日に「退職通知書」を受領し、更に、大賀弁護士を代理人とする平成九年二月三日付け通知書に対する「休職期間の満了による退社」であることを明記した回答書の送付を受けながら、その後一年四か月余りも法的手段に訴えなかったから、退職を承諾した。
四 被告の抗弁に対する原告の答弁
(退職事由について)
1 被告の抗弁1の事実は認める。
2 同2は争う。
3 原告の反論
(一) 休職制度は、労務の提供が不能となった労働者が、直ちに解雇されることのないように使用者の解雇権行使を一定期間制限し、労働者を保護しようとする制度である。したがって、所定の休職期間が満了する時点において、当該労働者の傷病が軽快し、勤務に復帰できる状況にある場合は、従業員は当然に復職する、と解すべきである。少なくとも、使用者は、復職を命じなければならない。
そして、休業期間満了による退職は、労働者が労働契約上の地位を喪失する意味で、解雇と同様の効果を生じるから、客観的に就労可能か否かは、休業期間が満了しても、労働者の傷病が軽快しておらず、その後の完治の見込や復帰後の職場事情等を考慮して、相当期間後も、なお、当該労働者の治癒が見込めず、労務提供が不十分となることが明白か否かによって判断されるべきである。また、労務提供の基準となる業務については、休業前の業務を基本として考えるべきである。
(一) 原告は、休職期間が満了する平成九年一月一〇日の時点で、次のとおり、症状が回復し、復職が可能であったから、退職事由はない。
(1) 原告は、平成八年七月一〇日、自宅に戻る途中、本件事故に遭った。脳挫傷、外傷性クモ膜下出血等の傷害を負い、禎心会病院に入院し、加療一か月の診断を受けた。
(2) 平成八年八月二一日、原告は、勤医協中央病院に転院した。平成八年九月二二日、リハビリテーションを主たる目的として、勤医協丘珠病院に転院した。
(3) 平成八年一一月八日、勤医協丘珠病院の担当医である岡本医師は、森田専務らに対し、現時点でも原告は就労可能であり、車の運転も可能な状況になっていること、間もなく退院になるので、退院後の就労開始が妥当であること、社会生活の復帰には身体の慣らしが必要であり、退院後の勤務については、勤務時間を段階的に延ばしていく形態で復帰する方法が望ましいことを説明した。
(4) 原告は、平成八年一二月一一日、被告に対し、職場復帰の予定表を提出した。森田専務は、予定表に記載された就労予定日に就労することを拒否し、職場復帰後の通院は一切認めない旨申し出た。
(5) 原告は、平成八年一二月一七日、勤医協丘珠病院を退院した。退院の際、岡本医師は、原告の病名を「脳挫傷、び慢性軸索損傷」とし、原告の状態について、「現在、左手のわずかの振え、右足のしびれがわずかにありますが、日常生活にはまったく問題がなく、車の運転もできます。事務能力、計算能力もしっかりしており、通常の仕事にはさしつかえないと考えます。当面、通院を要します」と診断している。
(退職の承認について)
争う。
第三 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
第一 事実関係
当事者間に争いがない事実に、本件証拠(甲一ないし一五、乙一ないし九、一一ないし二〇、二二ないし三五(枝番号を含む)、証人岡本五十雄、証人西本正美、原告本人、被告代表者)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
一 当事者
1 被告は、鉄骨構造物の設計並びに施工等を目的とする株式会社である。株式会社伊藤組(以下「伊藤組」という)を中心に、バルコニーや非常階段の手すり等の金属加工工事を請け負う従業員十数名の会社である。
2 原告(昭和二六年一一月四日生)は、昭和五三年九月、被告に工務部職員として、採用された。見積書、実行予算総括表等の作成、現場管理の作業に従事した。
原告は、被告の創業者である幸三の息子であり、将来は幸三の後継者になることが期待されていた。しかし、他の職員との折り合いが悪く、取引先に対する評判もかんばしいものではなかった。
原告は、平成三年九月、被告を退職した。市内のアルミ工事等を業とする会社開成(以下「開成」という)から誘われたためである。開成で営業係長として勤務した。平成五年夏ころ、内装工事を業とする株式会社扶桑(以下「扶桑」という)に転職した。扶桑では、営業課長として勤務した。平成七年五月、扶桑を退職した。
原告は、失業保険を受けながら、就職先を探していた。
二 被告への再就職
1 被告は、伊藤組との取引額が減少してきたことから、営業を強化して他社との取引を増やす必要を感じていた。平成七年末ころ、幸三の依頼や西本常務の口添えがあり、原告を営業部員として雇用することにした。被告に入社するにあたり、原告は、幸三の有する被告の株式を譲り受けた。
2 平成八年二月一日、原告と被告とは、労働契約を締結した。
3 被告は、原告に四年間のブランクがあり、工事代金の積算方法等にも変更があったことから、当初は、森田専務の下で、見積書の作成や積算関係の仕事を担当させた。平成八年八月ころから、外回りの仕事も担当させることを予定した。
4 原告の仕事の成果・能力にはとくに問題はなかった。三か月間の試用期間が経過し、平成八年五月一日、原告は、営業課長代理に任命された。しかし、職場の人間関係は必ずしも順調ではなかった。
5 原告は、平成八年七月当時、一か月当たり基本給一六万四〇〇〇円、加給六万円、職務手当三万五〇〇〇円、住宅手当二万円、家族手当一万六〇〇〇円の合計二九万五〇〇〇円の給与の支給を受けていた。支払期日は、毎月二五日であり、前月二一日から当月二〇日までの給与が支払われた。
三 本件事故の発生
原告は、早退して車で帰宅する途中の平成八年七月一〇日午後零時一五分ころ、札幌市北区篠路町拓北三九九番地先の交差点において交通事故(本件事故)を起こした。
四 原告の本件事故後の症状・入院治療
1 原告は、本件事故により、脳挫傷及び外傷性クモ膜下出血の傷害を受けた。平成八年七月一〇日、禎心会病院に入院した。二、三日間、意識混濁の状態であった。約二週間は、集中治療室に収容された。平成八年八月一二日の時点で、なお一か月の入院加療を要する旨の診断を受けた。
2 原告は、不穏状態を脱し、平成八年八月二一日、勤医協中央病院脳神経外科に転院した。勤医協中央病院では、脳挫傷及び微慢性軸索損傷と診断された。平成八年九月になると、独力で歩行でき、外泊もできる状態になった。
3 原告は、職場復帰等のためのリハビリテーションを目的として、平成八年九月一三日、勤医協丘珠病院に転院した。
当時の原告の自覚症状は、次のとおりであった。
(一) 右足首、足尖に強い痛みがある。右足関節から爪先まで一本の棒が入っているような感覚がある。右下肢のしびれ感がある。
(二) 冷たいものや熱いものが飲めない。
(三) 物の味、特に甘味が分からない。
(四) めまいがする。
(五) 物忘れをする。
(六) 複視で物が見えずらい。
(七) 思考能力が低下したように感ずる。
(八) 不眠。
4 勤医協丘珠病院では、原告の身体能力、症状を把握するため、各種の検査及びテストを行った。その結果は、次のとおりであった。
(一) 言葉を話す能力も人の話を理解する能力も十分であり、会話は正常に成り立つ状態であった。
(二) 見当識(時と所と人及び状況を正しく理解する能力)の障害はないが、記銘力(記憶力)の低下が認められ、日常生活を支障なく自律的におくれる能力がやや欠けていた。
(三) 身体の麻痺はないが、左上下肢に軽度の失調が認められた。
(四) 右下肢に感覚障害が認められた。
(五) 左下肢の筋力は標準レベルをやや下回っていた。
(六) 平成九年九月二〇日から同月三〇日にかけて行ったWAIS検査の結果によれば、交通事故により脳に損傷を受けたものの、知能的には、正常範囲内にあり、社会復帰が十分可能な段階まで回復していると評価できた。右検査結果に基づき、言語療法は、平成八年一〇月二日で終了した。
5 勤医協丘珠病院では、右4のような診断・検査に基づき、原告に対し、理学療法、作業療法、記銘力の回復の訓練を実施した。その結果は、次のとおりである。
(一) 平成八年一〇月七日ころには、左下肢筋力に左右差がなくなるまで回復した。
(二) 平成八年一〇月一五日の時点における勤医協中央病院眼科で行われた検査結果によれば、原告自身の自覚症状はあるものの、複視がほとんど消失していた。
(三) 平成八年一一月一日には、リハビリテーションの一環として行われていた釘ペグ(木版に空けられた穴にできるだけ早く釘を差し込む作業)における釘の穴も見える状態にまで回復した。
(四) 平成八年一一月二日に行われた長谷川式知能テストの結果によれば、標準値である三〇点にほぼ近い二九点を獲得した。記銘力の回復が窺えた。
(五) 原告は、岡本医師から指示されたとおり、大学ノートを用いてメモを取る習慣を身に付け、記銘力の点においても、不自由のない生活をおくれるようになった。
6 平成八年一一月に入ると、原告は、社会生活が可能な状況になったと診断された。原告の退院や職場復帰が検討された。しかし、原告は、社会復帰に対する不安があり、入院の継続を希望した。平成八年一一月一四日には、勤医協中央病院の田村医師から、退院したら運転の練習をしてもよいとの許可を得た(なお、原告は、平成八年一〇月二〇日に運転免許の更新手続をとった)。
7 平成八年一二月二日、退院日が同月一七日と決まった。原告は、予定通り平成八年一二月一七日、勤医協丘珠病院を退院した。
原告の症状は、退院時には、次のとおり改善していた。
(一) 右足首、足尖にあった強い痛みは、ほとんどなくなっていた。右下肢の感覚異常は、右膝上下二〇センチメートル部分に重い感じが残っているだけであった。
(二) 冷たいものや熱いものは、飲めるようになった。
(三) 物の味、特に甘味も、分かるようになった。
(四) めまいはなくなった。
(五) 物忘れをすることもなくなり、文章も書けるようになった。
(六) 複視で物が見えずらい点も改善された。本や新聞が読めるようになった。
(七) 思考能力も本件事故前に近い状況に戻った。
(八) 睡眠も十分にとれるようになった。
五 職場復帰のための交渉及び復職拒否
1 原告の妻は、平成八年八月中ころ、被告を訪れ、本件事故を労働災害として扱って欲しいと依頼した。その際、原告の症状について、回復するまでにおそらく二、三年はかかると説明した。
2 平成八年一一月八日、連絡を受けた森田専務と西本常務は、原告の症状や職場復帰の見通しを確認するため、勤医協丘珠病院を訪れた。岡本医師は、森田らに対し、入院時に原告にみられた記銘力障害、失調症、眼球の外転障害に基づく複視等の各症状がすべて改善してきており、社会生活は十分可能な状態であること、車の運転もできるようになる見通しであること、一二月初旬に退院の予定を立てていること、退院後は段階的に勤務時間を増やしていくことによって通常の勤務に耐えられる訓練をする方法で職場復帰(以下「段階的職場復帰」という)を図ってもらいたい、と説明した。
3 平成八年一二月二日、原告は、森田専務に対し、電話で、同月一七日に退院する旨告げた。ところが、森田専務は、職場復帰後の通院は認めないので、病気が完全に治った旨の診断書を会社に提出すること、段階的職場復帰のためのスケジュール表を出すことを求めた。
4 平成八年一二月六日、原告は、当時の岩井社長を訪ねた。岩井社長は、原告に対し、職場復帰の準備中も通院が必要なら認める、診断書はありのままのことを記載してもらうように求めた。
5 平成八年一二月一一日、原告は、被告会社を訪問し、森田専務に会った。森田専務に対し、段階的職場復帰の予定を記載した「職場復帰にむけてのスケジュール」と題する書面を提出した。これに対し、森田専務は、被告の年末年始の休業や御用納め及び御用始めの日には出社の必要がないと告げた。
なお、右スケジュール表には、次のとおり記載されていた。
平成八年一二月一七日
退院
平成八年一二月一八日、一九日
自宅静養
平成八年一二月二〇日(金)
一一時ころ出社 一二時ころ退社
平成八年一二月二一日(土)
〃 〃
平成八年一二月二四日(火)
定時出社 〃
平成八年一二月二五日(水)
私事のため休み
平成八年一二月二六日(木)
定時出社 一二時ころ退社
平成八年一二月二七日(金)
〃 〃
平成八年一二月二八日(土)
〃 〃
平成九年一月六日(月)
〃 〃
平成九年一月七日(火)
〃 一五時ころ退社
平成九年一月八日(水)
〃 一二時ころ退社
平成九年一月九日(木)
〃 一七時ころ退社
平成九年一月一〇日(金)
〃 〃
6 原告は、平成八年一二月二〇日、被告を訪ねて、森田専務に対し、岡本医師に作成してもらった同日付けの診断書を提出した。
原告は、森田専務の求めに応じて、平成九年一月一〇日まで休職する旨の休職届を作成して提出した。森田専務は、更に、岡本医師の診断書以外に他の専門医の診断書を提出することや、休職期間中の出勤途中の事故があった場合や在社中に体調が悪化した場合に被告会社に迷惑を掛けない旨の念書を提出することを求めた。しかし、原告は、勤医協丘珠病院の岡本医師が問題ないと言っているのに、他の医師の診断書や念書の作成を要求することに納得できず、これを拒否した。原告と森田専務との間において、念書等を提出するか否かで、言い争いになった。森田専務は、原告に対し、平成九年一月一〇日まで出社をしなくてもよい旨告げた。
なお、岡本医師の診断書には、次のとおり記載されていた。
(一) 現在、左手のわずかな震えと右足のしびれがわずかにあるが、日常生活には全く問題がなく、車の運転もできること(原告は、実際、平成八年一二月二五日ころから、車の運転を始めている)。
(二) 事務能力、計算能力もしっかりしており、通常の仕事には差し支えないと考えられること。
(三) 当面通院を要すること。
7 被告は、平成九年一月六日ころ、役員会を開催し、原告の復職の是非について検討した。原告の症状が完全に回復していないとして、平成九年一月一〇日の六か月の休職期間の満了までに復職を命じないことを決定した。なお、被告では、原告が営業の仕事に耐えられるか否かという点は具体的に検討しなかったし、岡本医師に診断書の記載事項等を確認・質問することもしなかった。
8 原告は、平成九年一月一〇日、被告の事務所へ出頭した。そこで、岩井社長が、森田専務の立会いの下、原告に対し、復職を命じない旨の通知をした。原告は、「解雇ですか」と問いただした上で、解雇する旨の文書の交付を要求した。
9 原告は、平成九年一月一七日、被告から、同月一三日付け退職通知書を受領した。同通知書には、退職事由として「就業規則三三条一項及び三四条一項一号に該当し、六か月間の休職期間を満了し、会社より復職を命ぜられないので退職とする」旨記載されていた。
原告の委任を受けた大賀浩一弁護士は、被告に対し、平成九年二月三日付け書面をもって、休職期間の満了により原告を退職させたのか、解雇であれば解雇理由を明確にされたい旨の通知した。被告は、平成九年二月五日付け回答書をもって、原告の退職事由は被告の就業規則に基づく休職期間の満了に伴う退職である旨答えた。
六 退院後の原告の症状・通院状況
1 岡本医師は、原告の退院後も、原告の症状の確認とけいれんの予防のため、月一、二回の通院が必要と考えていた。
復職の認められなかった原告は、次のとおり、勤医協丘珠病院に通院した。
(一) 平成八年一二月 四回
(二) 平成九年一月 二回
(三) 平成九年二月 三回
(四) 平成九年三月 五回
(五) 平成九年四月 四回
(六) 平成九年五月 二回
(七) 平成九年六月 二回
平成九年六月一九日に二週間分の抗けいれん剤の投与をもって、抗けいれん剤の投与を中止した。
(八) 平成九年七月 三回
抗けいれん剤の投与中止後の症状を見るため、通院回数を増やした。
(九) 平成九年八月 二回
(一〇) 平成九年九月 一回
(一一) 平成九年一〇月 一回
(一二) 平成九年一一月 三回
血液検査、エコー検査及びCT検査のために、通院回数が増えた。
(一三) 平成九年一二月 一回
(一四) 平成一〇年一月 一回
(一五) 平成一〇年二月 一回
(一六) 平成一〇年三月 一回
(一七) 平成一〇年五月 一回
(一八) 平成一〇年七月 一回
2 原告は、経過観察と抗けいれん剤の投与を受けるため、通院した。リハビリテーション等の治療を受けることはほとんどなかった。ただし、岡本医師の許可を得て、平成九年一月一三日から同年九月二九日までの間、針灸治療を受けた。検査を受けた日等を除けば、五分程度の診察で終わっていた。
原告は、「右下肢がグラグラして転びやすい」、「右膝、右足全体の動きが悪く、重苦しく歩きづらい」、「左の肩・手が痛い。右足底がいつもしびれている。右半身がしびれている。バランスが悪く歩きにくい」等の自覚症状を訴えていた。しかし、特に治療を必要とする状態ではなかった。平成九年六月には、経過が良好であったので、抗けいれん剤の投薬が中止された。原告にけいれんの症状は現われなかった。
原告は、平成一〇年七月三一日の診察をもって、勤医協丘珠病院への通院を終了した。右足に鉛が入っている感覚は範囲が狭くなって一部残っていたが、感覚障害は完全に戻った、と診断された。
3 岡本医師は、原告の退院後、次のような内容の診断書等を作成した。
(一) 鍼灸の施術に同意する旨の平成九年一月一〇日付け同意書には、原告の症状を頸腕症侯群、腰痛症、頸椎捻挫後遺症と記載した。
(二) 保険会社に宛てた平成九年一月二一日付け診断書には、徐々にしびれ、協調障害、二重視などが改善し、日常生活に支障がなくなったとして、同日まで業務・日常生活に支障があって就労が不能であった旨記載した。
(三) 雇用保険に関する意見を求められた平成九年二月一三日付け診断書には、左小脳性失調症、複視などの症状があったが、徐々に改善し、症状は残っているものの、日常生活には問題なく、職場復帰に向けて準備してるとして、同年一月三一日まで就労不能と認めた旨記載した。
(四) 社会保険事務所長に宛てた平成九年三月一一日付け書面では、傷病手当金の支給に関し、平成九年二月一日から同月二八日までの間、自覚症状として、右足関節部分の痛み、物が二重に見える、左肩・手の痛み、右手首のしびれ、バランスがとりにくいとの症状があり、他覚症状として、複視、左上下肢の協調障害、右下肢の感覚障害を認めたが、日常生活は不自由なく、通院しながら仕事ができると考える旨記載した。
第二 前記認定の事実関係を前提に、原告の退職の効力について検討する。
一 原告の退職事由の有無
1 被告は、その就業規則において、従業員が業務外の傷病で欠勤が三か月以上に及んだとき、休職させることができる(就業規則三三条一号)、その休職期間は六か月を限度とする(同三三条一号、三四条一項一号)、従業員が復職を命じられないで休職期間が満了したときは、退職とする(同二八条二号)、と定めている。
右休職制度は、被告の従業員が業務外の傷病を理由に三か月以上欠勤する場合に、六か月を限度として休職期間とし、この期間中の従業員の労働契約関係を維持しながら、労務への従事を免除するものであり、業務外の傷病により労務提供できない従業員に対して六か月間にわたり退職を猶予してその間傷病の回復を待つことによって、労働者を退職から保護する制度である、と解される。したがって、六か月の休職期間の満了までに従業員の傷病が回復し従前の職務に復職することが可能となった場合には、当該従業員を休職期間の満了をもって退職させることは無効であると解するのが相当である。そして、復職が可能か否かは、休職期間の満了時の当該従業員の客観的な傷病の回復状況をもって判断すべきである(客観的には復職可能な程度に傷病が回復していたにもかかわらず、会社が資料不十分のために復職が不可能と判断して当該従業員を退職扱いにした場合には、当該従業員の退職の要件を欠いており、退職が効になる、と解すべきである)。
2 これを本件についてみるに、原告の六か月の休職期間が満了した平成九年一月一〇日の時点において、原告には、左手にわずかな震えがあり、右足にはしびれが残り、軽度の複視の症状があり、月一、二回の通院が必要な状況であったが、日常の生活には問題がなく、事務能力、計算能力も回復し、車の運転もできるようになり、通常の仕事は可能な状況に回復していたのであるから、原告は、従前の見積書の作成や積算関係の仕事を担当し、営業として外回りの仕事を担当することが可能な状況になっていた、少なくとも、直ちに一〇〇パーセントの稼働ができなくとも、職務に従事しながら、二、三か月程度の期間を見ることによって完全に復職することが可能であった(被告において、右期間程度の猶予を認める余裕がなかった、あるいは、原告の月一、二回の通院を認めることによって業務遂行に支障が生じる、との事情は認められないから、信義則上、休職期間の満了後は一切の通院は認められない、とすることはできない)、と推認することができるから、休職期間の満了を理由に原告を退職させる要件が具備していた、と認めることはできず、原告を休職期間満了として退職とした取扱いは無効である、と解するべきである。
3 被告は、休職期間の満了時に復職できる状況になかったから、原告の退職は有効である旨主張する。しかし、被告の右主張は、採用できない。
(一) 原告の本件事故による傷害の程度、治療や転院状況、更には休職期間中の言動をもって、右2の認定説示を妨げることはできない。勤医協の診断書が信用できないとする理由もない。また、原告が勤医協の診断書以外の診断書や念書を提出する義務は肯定できないし、右書類を出さなかったことをもって、右2の認定が妨げられる理由もない。更に、原告が提出した職場復帰に向けてのスケジュールは、休職期間の満了前の復職の準備期間のことであるから、右スケジュールの内容から、休職期間後の復職が不可能であった、とすることもできない。本訴提起が遅れたことをもって、右2の認定を妨げるものでもない。
(二) 被告が主張する会社の実情や原告の前歴をもって、休職期間の満了時における原告の傷病の回復状況の認定が左右されるものではなく、休職期間の満了を理由にする退職が有効になる、と解する余地はない。また、仮に、被告が主張する会社の実情や原告の前歴をもって新たな退職ないし解雇事由と解しても、原告の退職ないし解雇を正当とするまでの事由があるとは認められない。
(三) 前記認定の事実関係の下において、原告の退院後の症状や治療等の状況(岡本医師は、症状は残っているが、日常生活に支障はなく、通院しながら仕事はできる旨診断しているし、実際の診断も、検査の日を除けば、短時間であった)から、原告が休職期間の満了時に復職できる状況に回復していなかった、と認めることもできない。
(四) 他に、前記2の認定説示を左右する主張立証はない。
2 退職の承認
前記認定の事実関係の下において、原告が被告から「休職期間の満了による退社」であるとの回答書の送付を受けながら一年四か月余りも法的手段に訴えなかったことをもって、原告が退職を承諾した、と推認することはできない。
第三 結論
したがって、原告の退職事由は認められないから、原告は、復職を申し出た休職期間満了日である平成九年一月一〇日の経過をもって被告に復職したものと認められ、原告の本訴請求は、被告の従業員としての労働契約上の権利を有する地位にあることの確認と、被告は、原告に対し、平成九年一月一一日から同月二〇日までの給与相当額である九万五一六一円(一か月の給与額である二九万五〇〇〇円を平成八年一二月二一日から平成九年一月二〇日までの三一日間で除した上で同月一一日から同月二〇日までの一〇日を乗じて得た金額(円未満切り捨て))及びこれに対する弁済期の翌日である平成九年一月二六日から支払済みまでの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払請求、並びに、平成九年二月から毎月二五日限り平成九年一月二一日以降の給与月額二九万五〇〇〇円及びこれに対する弁済期の翌月である各月二六日から支払済みまでの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払請求を求める範囲で理由があるから、右範囲でこれを認容し、その余の請求を棄却する。
よって、原告の本訴請求は、主文掲記の限度で理由があり、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条ただし書を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する(口頭弁論終結の日・平成一一年七月二七日)。
(裁判長裁判官・小林正明、裁判官・小濱浩庸、裁判官・鵜飼万貴子)